History of "Kimono Bustle Dress"

着物バッスルドレス ―現代に甦る美の軌跡―

「女官洋服裁縫之圖」1887(明治20)年/個人蔵
「女官洋服裁縫之圖」1887(明治20)年/個人蔵

 

日本におけるドレスの歴史は、

今からおよそ150年前にまで遡ります。

 

数世紀にわたる鎖国を解き、外国に向け扉を開いた日本。

その玄関口となった港町には、最新の西洋文化が流入し、

文明開化の様相を呈しました。

服装に関する文化も例に漏れません。

 

1863年、イギリスより来日したミセス・ピアソンが

横浜の居留地に洋裁店を開業し、

以降、日本にドレスの文化が広まってゆきました。

 

このように日本にドレスが持ち込まれたちょうどその頃、

西洋で主流だったのが、“バッスル型”のドレスでした。

 

それ以前に流行していたクリノリンドレスが

大きく横幅を取ったスタイルであったのに対し、

バッスルドレスは左右に張り出した横幅を削ぎ落とし、

ボリュームを背後のヒップ部分に持たせたことが

一番の特徴です。

 

これにより、女性は動きやすさを獲得するとともに

フェミニンな曲線を強調した、

美しいS字のボディーラインを手に入れました。

 

バッスルドレス。

それは、日本人が初めて出会い、

初めて袖を通したドレスでもありました。

 

政府の欧化政策により、

1883年、東京・日比谷に鹿鳴館が設けられると、

関係者は洋装を取り入れる必要に迫られます。

 

激動の時代、慣れない洋装が揶揄されることもある中、

外交官夫人である鍋島榮子が着用したのが、

着物地を用いたバッスルドレスでした。

それは、西洋のドレスであるバッスルの型に、

小袖という着物の生地を用いて制作したものです。

 

決して西洋文化に取り込まれるだけではなく、

日本が培ってきた歴史を融合させ、新たな美を生み出す。

そのドレスは、華やかなだけでなく、

美しさの中にそうした意志の強さと気品を湛えています。

 

一方で、海を渡った日本文化は、パリ万博などの

機会を通して西洋諸国へと広まってゆきました。

「ジャポニスム」時代の到来です。

 

外国では着物への注目度も高く、

実際に着物地を用いたバッスルドレスが制作されました。

 

こうして、日本で、そして外国で、

全く違う文化が融合したドレスが生み出され、愛用されたという歴史があります。

 残念ながら、今ではこうしたクラシックドレスの多くは

わずかに残る写真や資料でしか見ることができません。

だからこそ「現代に甦ったらどうなるだろう?」という

疑問が、事業を始める上で大きな原動力になりました。

 

たとえば、大切に守られてきた歴史的建造物において。

たとえば、様々なバックグラウンドを持つ人と人が集まる空間で。

 

日本と外国と、そして歴史と現代とが融合したドレスは

新しい輝きを放つ可能性に満ちています。

 

そこには、異質の文化が手を取り合いながら、

新たな美の価値基準を生み出す

未来へのヒントがあるように思えるのです。

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